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2011年4月11日 (月)

地震がもう2度と来ませんように。。気合で元の部屋にするんです。

あの地震から3週間が経ってました。

「こんちくしょう!」なんて言葉も使いたくなる日常生活、、

「こんちくしょう!」は地震に対してです。「来るんじゃない!!」

高校の古典の先生は弘前高校の出身だった。急にすみません!

弘高ではあの寺山修司??

(漢字?だいじょうぶかな??)と同級生だった。

その先生は時々、面白い話をネタにする。

日常の中の言葉で使われないのでなく、使っちゃいけない言葉を話題にした。

「・・・・・・」だったり、「・・・・・」、、、とか。

「畜生」も「餓鬼」も取り上げてくれた。

「わかったかあ?」

「そんな意味があるから注意!」  「まして、自分の子供に向けるなよっ!」

「使うな!!」

「30年振りだよ、、、先生?使った、、、御免なさい。。」

向けた先は「地震」に対し使った。

その言葉は被災された方達でさえ口にはしてないでしょうね、、。

まさに、「飢え」にも苦しんでる東北の故郷の人々たち。

江戸後期の約200年前辺りから、東北の多くの人々は飢饉で命をおとす事も多かった。

悲劇は人間のまともな仏心さえも、かなぐり捨てなければならない惨状の有様を、、。

地獄絵図、、、1人の老婆が口を開く、、

「嗚呼!!」

「この地は前世で一体どのような因果があってこうも苦しむのだろうか?、、」嗚呼。

一方、生涯の終の棲家に秋田を選んで人生を終えた人がいる。

その日記には当時の東北地方での様々な人間に触れた時の印象を語ってる。

当時の各藩政の状態をつぶさに観察し、なおかつ、地方での民衆の生活風景を

絵と活字で後世の人々に伝えた。

彼はよく、1度も訪れた事のない東北各地で親切な人々の歓待を受けている。

歓待と言っても豪勢な祝宴のものでなくて、今にも吹き飛ばされそうな家屋での事。

夜なのにその日の宿泊もままならない。

アポなしで伺いをたてると、決まってそこの主の快諾で難を逃れる。

質素な暮らしぶりにも関わらず、一っ家は彼の災難にさえ心をよせて泣くのである。

「いったいあの旅人は経緯は判らないが、なんで」

「この夜更けに雪を掻き分けて此処にきたのか。我々にも及ばない苦労がある。」

、、、、。「こんな奥地に、、泣。」

菅江真澄、その人。

彼は知識人であるから、その地方の産物や薬剤の原料になる山野の草花、漢方の源を

探して生業の糧にもしてた。

また、歌をよくして、秀歌をたくさん詠んでいる。

質素ながらも懸命に生きてる土地の人々は歌に思いを込めて彼に送る場面も多い。

その教養の高さと知識人たる度量に驚くのだ。その人は。

人の苦労に己の辛苦を重ね合わせて共にひと時の因縁に思いを廻らす東北人。。

忘れて欲しくない話である。

伝えたくない言葉もある。伝えて欲しくない話もある。

今の日本を見て何かを語り繋ぐ人が欲しいのですが、

あまりにも残酷すぎる今回の惨状を「あの」人だけには語って欲しくないのです。

何時も、原稿をみながら話をするひと、、。あの人の心はなにに染まっているのか、、

この日本を何色に染めてしまおうと思うのか。。

1度、横っ面をひっぱ叩いてから聞いて見たいのです。

「お前は何処のどいつだっ!」

もう2度とあってはいけない「今回」、、、、

捨ててしまった「矜持」は何処にいくのか。

我々日本に住む人たちの旅は始まったばかり。

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