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       今までの記憶のかけらの残像です。    小さすぎる私の心のシャッターですが、、、。

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2011年8月25日 (木)

ジェイク。いつかのきみに。。

ジェイク。彼の名前はジェイク。

少しだけ顔がジェフ・ベックに似てる。

友達になったのは25歳の時でした。

英語を習ってたアメリカ人は名前がジェイクでした。

お互いにそれ以上の名前を気にしたこともなく、それ以上の付き合いも無かった。

彼は黒澤明監督の「影武者」をアメリカで見て感動した一人です。

俳優になりたくて黒澤明監督のもとを訪れた青年だった。

ボストン生まれ。なんと、初めて訪れた日本で幸運にも映画会社とも縁ができて、

映画の中で徳川家康を演じた夕焼け評論家の油*さんの事務所の社員になれた。

真面目に勤務しながら映画の勉強をしてた青い目のサムライのたまご。

図々しくも、ちゃちゃこは下手な英語の勉強をその評論家の事務所内でやってた。

きっかけ?それは、あの頃はまだド・田舎の西麻布のアマンドの前にあったバラック。

その青山墓地下に、(幽霊が出てた)ようやく大きなビルが幾つも建ち始めた頃です。

今はない小さなコインランドリーで洗濯をしてた彼に声を掛けたんです。先手必勝。

不思議でしょ?もちろん私からでした。互いに言葉の通じ無い国(笑)から来たばかり。

その際に彼にカタコトで声をかけ、英語を教えて欲しいとお願いしたらば、予想に反して

彼は、片言の日本語で「OKです。」と言ってくれた。

予想は「NO。」だった。俺男だしね。普通はいやでしょ?

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「ケイちゃん」が働いてたお店にも評論家の方の事務所に所属する女の子がいた。

あとで分かった。ちゃちゃこは、ジェイクさんには毎週1回の割合で英語を習ってた。

アメリカの中学3年間に相当する教科書をこなした。「卒業」一応確認できた。

日本語はなくて英語だけの会話でした。

その当時の月謝は3千円でした。やすかった。今思うと安くて怖いです。

沢山たくさん教えてくれました。教科書は初めて見ましたが、中学なのに意外に内容は

単純でした。あれは小学生用だったのかな、、もしかしたらです。幼児向けかも、、。

中学生で覚えることに必要とは思えないものもあり、とても面白かった。亀の話。なんで。

それをやって向こうに行く備えました。行く日までの数カ月です。

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そんなある日のことです。。。

激務の早番上がりで帰宅したちゃちゃこ。住んでる場所は事務所の近所でした。

夕暮れがとても綺麗な夏の日です。ふと、見上げた事務所の外に設けられた狭い

ベランダに、彼と、そこに所属する女の子が綺麗な夕日に染まっていました。

二人は抱き合ってキスをしてた。まるで映画のようでした。。。まさかっ。。

彼女も綺麗でした。彼も眩しかったです。二人の髪が風に揺れてました。

ジェイクと、少しばかり楽しかった夏の思い出です。??かも、、。

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今も英語のレベルは当時と変わらず、、、幼児と肩を並べれないくらいです。

働いてたレストランではアメリカ人の方も多かったのです。イタリア人もですが。

つたない英語なのに、驚くなかれ、お前はアメリカ人か。とよく訊かれました。

きっと、英語力ではなくて、大袈裟なリアクション、でかい声と、訛ってたからか、、爆!

ちゃちゃこ、、東北生まれ。本来は根が暗い性質なのですがね。

それを隠したくて明るく振舞ってただけ。一見陽気に見える。今もです。

女の子はシャイな日本人の子の方のほうが性に合ってる気がします。??

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西麻布のお店に沢山いたアルバイトの女の子のなかに(自分が勤めるリストランテ)

当時、早**の従姉妹がいました。デビューして間もなくて、頻繁にその子のお母さんが

経営してる高級バーに遊びにも来てて、何度か早**が来てると、わざわざ電話を

くれました。私に遊びに来ればいいのにと言ってくれた。私は高校からのファンでした。

新人です。デビューしたての頃です。

7月末のお酒の席の帰り道、その西麻布の従姉妹の彼女を尋ねると相変わらず美人、、

彼氏もできて、とても元気にしてました。お母様は不在でした。

昔のままでした。でも、互いに重ねた年月が長いことを物語っていて、んんんん。。

ふけた顔を暫く見て感慨深い苦笑いをした。やばいなあー。俺もかな、、。

そういえば最近もよくテレビで見ます。今でも早**さんはとても綺麗ですね。

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それからちゃちゃこは、NYの就職が本決まりになったので挨拶に行った。

あらかじめ親にはあっちで働くからと連絡してた。青森です。

予想に反して以外にも、育ててくれた母が泣いてた。

その事を思い出しました。夏休みの帰省、そして他人行儀な報告だった。

その場にいた父が私に言いました。夏らしい風景かも、、熟れたスイカを食べながら、、

意外な一言、、「いいよ、青い目のお嫁さんでもいいからつれてきなよ。」

本当は、父はアメリカが大嫌いでした。簡単な理由です。戦争に負けた日本です。

大正生まれの父は戦争の終戦時に出兵が決まってたんです。

偶然に、出兵前にやはりというか、日本が戦争に負けていけなくなった。

あの戦争のせいです。行けても行けなくても戦争のせいです。誰もが悲しんだ。

好きなNHKのおひさまのテレビドラマのことがよくわかる様になりました。心情です。

父もあの当時の心境は複雑だったのですね。おかあさん。そうですよね。

父は男になれなかった。あなたには、恋人のあなたに父は話してませんでしたか?、

それらしい愚痴は言ってませんでしたか。。

日本男子になれなかった。青森からは遠すぎたのかな、、。で、最後は癌になった。

戦争ではなくて、癌で生死を彷徨った挙句の果てに落とした命です。

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遠い郷里には忙しくて行けなかった。父は電話で手術の成功を確信して笑っていた。

私の欠席した家族への手術の説明では、この手術は成功するから絶対に心配ない。

あのときの先生は話してたそうです。、、結局経験が少ない先生でしたよ。後悔。

当然のこと、誰も想像してなかった父の死、、。その直前の手術前の父の出来事です。。

ベッドの上で父は思いつめてたそうです。、何を思ってか、その難しい手術に望み、

オペ室に向かう時に、父は声を張り上げて今から行ってきます。と言ったそうです。

「戦争に行ってきます!」

私には想像できないです。「戦争に行ってきます。今から行ってきます。」

誰もが見たことのない険しい顔の父が白い病室の壁を見つめて言い放った一言。

それが最後に聞いたつぶやきだったそうです。何度目の決断だったのか、、、。

私が好きな父は雨男でした。雨女、雨男に悪いやつはいないといってた。

そんな父の死の連絡が有りました。私は仮住まいの居宅で連絡を受けました。

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11月13日、、。今も持ってる飛行機の半券がある。。

亡くなった次の日に青森に向かった飛行機が空港の山並みに差し掛かった時に、

飛行機の窓に大粒の雨が激しく降ってきたのを覚えてます。とてつもなく悲しくもあり、

また、戯言を心で思った。「またやられたー。」とも感じた。父は笑った。僕は似ている。

私はとても驚きました。何度も言いますが、父は誰もが認める雨男だからです。

ああ、父さんだ。父さんごめんよ。御免なさい。そう、、心のなかで語りかけた。

死にたいくらい悲しかった。でもすこしだけ嬉しかったのです。「ただいまぁ。」

もう手を振ってはくれないね。その時は思い出に耽る事しか出来なかった私でしたから。

それから十数年、、今はもうすでに帰らぬ人になった父を写真で見てる毎日です。。

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自慢です。優しかった父は、高齢になっても何時も飛行場に迎えに来てくれた人です。

「徹、さあ帰ろう。」   「うん。」  幾つになっても好きな人への返事は「うん。」だ。。

その道は故郷の実家のある半島の海の町まで続いてます。白いバンで走りました。

運転してる父の向こうは青い海の陸奥湾です。ときより連絡船が伴走してた。

そして決め事のように、いつものお菓子屋さんの真ん前で父は車を路肩に停めて、

まったく営業してる気配もなく、看板さえ出してないお店に入っていくんです。

お菓子好きの父の顔がゆるむのを何度見たことか、、。やがて、やがて会話を数回だけ

やり取りをしてから、父は嬉しそうに小さい揚げドーナツを買って来るんです。

そのドウーナツを一袋、、丸々、、食べて帰るんだったっけ。美味しかったです。

そおだ、口に放り込んだ後は、指についた砂糖をなめて二人して笑いあってた、、。

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青森空港は濃い雲谷に包まれて、切れ切れに覗く滑走路が泪のせいなのか、はたまた

雨に打たれて見えなくなった飛行機の窓のせいなのか、ただただ乳白色に煙ってました。

「父さんただいま」  「ごめんよ。」 「もう迎えには来てくれないんだね。」 バスに一人。

とても下手くそな運転でした。

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ちゃちゃこの前の奥さんは**優ではなくて、樋口可南子似です。もっと綺麗です。

おひさまを見ると思い出します。そんな、もと奥さんが夢に出てきます。頻繁にです。

其の彼女に、あろうことか夢でのお話ですが、「戻って来てね。」と、聞いたことのない声で

言われた。声が違うし!「誰の声のパクリ?」 最近聞いた声かな?

夢としりつつ、私は咄嗟に「そんなことは絶対にないっ!」と言い放って、

彼女の体をドン。と突き放しました。おお?俺が?静観してます。夢ですから。

なんという夢見の悪い、、、。そう言えば、今までなかなか夢に出てこなかった娘が

最近良く出てくるようになった。なんでだろうかな、、。この件はいらないかも。

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ジェイクの話が父のお話になった。元家内お話にも。でも、言いたいことは。。        

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いつかのお友達へ。                       

悲しいお別れは沢山あります。

お友達や、幼なじみも、、先生も、、先輩も、、後輩も、、。御家族も、、、。

大好きな俳優の竹脇無我さんも、、

町内会の父のような存在の方も、、家内の母も、、離縁したけれど。

実の娘も、、1歳だった。

でも、自分の両親の死は言い表せません。そうです皆んなです。

父の祭壇を設けた実家の部屋で、寝ずの番をして一週間だけ灯明を守りました。

よる眠る時も一緒でした。何かを伝えたいものです。ほんとうに最後になってしまった。。

「おとうさん、、」そんな時でさえ、僕はいい年で父に甘えてました。

父は毎晩、僕の頭をなでてくれてました。      

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「徹、、ごめんよ、、。」  「ううん。僕こそ。」

あっという間月日は流れます。 

それからは、いつもそばで天国から見守ってくれています。

「ありがとう。」を言うたびに父の笑顔は輝きを増してく。

わたしも幸福が溢れていくばかりです。

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そんなある日の事、貴女のお友達の彼女に出会いましたよ。それからお友達です。

ですから、、今の私が笑顔でいることで、少なからず巡り巡ってあなたに届きます。

私にとって、二人はお友達です。今日も笑顔で頑張ります。ちゃちゃこはっ!

私も笑顔でいることが貴女にも伝わって、いつか素敵な笑顔が戻る事と信じています。

きっといつかそう成るはずです。

今日笑顔でいて下さい、そうすれば貴女の明日が輝くのです。

あなたに頑張れ!頑張れ!

そして、時々でいいので、私にもお友達にも頑張れをくださいねっ。

絶対に応援を待っていますよ。

貴女は誰からも愛されています。   

ちゃちゃこ。

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